あらゆるジャンルの、それぞれのお店にカラーが存在する。
チェーン店ですら、そのお店独自のそれがある。
人は無意識的に、それぞれに合ったお店に足を運ぶのだろう。
意識的に細工できない何かが、カラーには宿っていると思う。
あるときの記憶を持ちすぎる癖がある。
自分の中に残っている特定の記憶が、その全体像を表しているとは限らない。
そして、そこで一度固まってしまったイメージを払拭できない。
アップデート、そして記憶の風化、柔軟性が最近のホットワード。
患者さん、出会った方の話を統合すると、意志無きところに流れあり、となる。
こうあって欲しいと願うことは、大抵そうはならない。
そこには人為的な力みや欲が存在する。
ある流れというのは確かに存在していて、身を委ねることが出来れば流れに乗れる。
朝、散歩をしていると、おじいさんと目が合った。
初めてお会いする方だったが、どちらともなく挨拶を交わした。
笑顔が印象的な方だった。
少しお話をして、私はまた歩き出した。
心が満たされた。
コミュニティ、を感じた。
私はある視点で何かを見ている。
意識、無意識に依らず、視点は決まってしまう。
何かそれが、何かの拍子で視点が切り替わることがある。
最近あったような、起きれば雪景色、とはいかないまでも、
あらゆる変化が知らず知らずに起きている。
日ごろの移り行く時間のなかで、ふと立ち止まってみる。
届かなかった時間に意識を向ける。
そして、自分自身をみつめる。
自分の存在を構成している要素を改めて感じてみる。
考え、悩み、色々な葛藤を経て、自分の存在を認めてあげる。
昨晩は広尾のお寺で開催されている、寺子屋へ行ってきた。
毎回色々なジャンルの方が中心となってそのジャンルについて勉強する。
昨日は数学者の方がゲストだった。
多くの刺激をいただき、出会いもありました^^
鍼灸には向きがある。
誰に向かって行っているのか。
誰にも向いていない、患者さんに向いている、お互いに向いている。
鍼灸の価値というのは、そのベクトルで全てが決まるのではないかと思っている。
色々な身体に出逢うたび、身体は本当によく出来ているなと感じる。
何かが不足すれば補われ、多過ぎれば排出される。
ただ、そういった身体の働きを日常生活で妨げてはいないだろうか。
クスリとは本当に薬になっているのだろうか。
物事の捉え方で、自分を苦しめてはいないだろうか。
身体が存分にはたらく環境を考えていきたい。
2016年1月のお灸教室のご案内です。
11(月祝) 10時、17時
17(日) 10時、17時
24(日) 10時、17時
上記以外にも個別でご希望の日程でお灸教室を行っております。
詳しくはお灸教室のご案内をご覧下さい。
来られている方の自叙伝を拝読した。
現実に来られている方が書かれた本を読む、という経験は初めてだ。
鍼灸を行っている時に伺った、そのままの話が本に登場する。
時には本文よりも、私が直接耳にした内容のほうが詳しいこともある。
また、その方を知っているので、数十年昔のその方の写真も、とてつもないインパクト。
そして、生きる姿勢に感服する。
「熱」が伝わる本だった。
ブログを見ました、という方が来られました。
何年か前のブログまで遡っていただいたようで、そういえば、そういうタイトルで書いたなぁ
と懐かしく、嬉しい気持ちにさせられました。
ありがとうございました。
意外と、ブログという意味でも積み重ねですね^^