本当に出逢いというのはいつ訪れるかわからない。
いや、訪れているのだろうが気付かない。
そして気付けない。
今日は電話越しに思いがけない出逢いがあった。
物事に対して、自分は背中を向けているのか、目を向けているのか、あるいは腹で感じているのか。
ある人は物事は中立に起きており、それを意味付けるのが人間だと言った。
野球大好き少年にとっての大雨は悲劇だし、農家のおじさんにとっては恵みの雨。
最近本当に大切だと思うのは、人間の集注の方向。
何に向かって生きているか。
目先の浅い欲求を満たしているだけでは、本当の生きている喜びは得られない。人は人との交わりに依ってのみ、心を揺り動かされる。感動する。
何かの本に書いてあったが、経済的に満たされた人間は、ボランティアや寄付に勤しむのだという。人間本来の喜びが、極まるところ、そこにしか存在し得ないからであろう。
よく「プライスレス」なんていう言葉を耳にするが、これほど皮肉が込められた単語は無いのではなかろうか。
これはプライスありき、カネの絶望的存在感の証明とも言うべき単語。
ある人は言った。
「本当に佳いものってカネを取りにこない」
すなわち自然のことである。
私自身もまだまだ学ぶべきこと、変化すべきことが多くある。
尊敬する先生は言われた。
「幸せは個人のものだが、幸福は全体性をもつ」
幸福に向けていざ進まん。
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